三周目終わりました。
先に書いた縛りプレイを結局最後までほぼ貫く形になりましたが、それにより新たな面が見えてきてとても楽しかったです。
FFらしいといえばFFらしいのですが、『魔法キャラを極めると強い』ということを再認識。例えば、女性白魔導士5人とかでもラストまでいけちゃいます。今回は特に避けプレイということで回避率に注目していたのですが、ホーリーって回避できないんですね。フレアは無属性の強力魔法ですが、回避率上げられると無力です。ホーリーは消費MPも多いので連発は難しいですが、ショートチャージやエーテルと組み合わせれば肉弾キャラよりスマートに瞬殺できそうな感じです。まぁ、サブアビに白魔法付けた黒魔導士の方が強いですが。
結局、男性陣二人は黒と白、女性陣はナイトと忍者に落ち着きました。ボコは中盤あたり、何の役にも立ちませんでしたが終盤では時にチョコケアル、時にチョコボナイトとしてそこそこ活躍してくれました。見た目的にはチョコボ竜騎士がベストかもしれません。槍+チョコボ騎乗は様になります。
#ストーリーについて。
今回、僕も三十になり、当時の製作者達と同じような年代になったわけですが、最も目に付いたというか…鼻についたのはラムザのキャラクターです。彼の立ち位置は白い巨塔でいうところの里美先生、つまり理想の代弁者なんです。最初から最後まで通して見ると、彼は終始理想を掲げ、しかもそれが正しいと妄信している。勿論理想なんだから理論上は正しいわけですが、そんなに世の中甘くない。おかしくないですか? ディリータやガフガリオンが世の中の厳しさを教えてくれているのに、彼は他人の意見をほとんど聞いていません。彼の中の正義は彼の中で完結してしまっている。
というか、途中からアルマを救うことしか考えていません。ヴォルマルフが彼の妹を連れ去らなければ、ヴォルマルフと戦うこともなかったでしょう。彼のシスコンっぷりが結果として世界を救うことになったとも言えなくもない(笑)
他に例えばアグリアスさんだって、そうなんじゃないかな。『今更疑うものか~』の台詞は一部で大好評ですが、ムスタディオは疑ったくせにラムザは何故信じたのでしょうか? 彼がベオルブの人間だったから、ではないのかな? いや、これが“正解”でないといろいろ不都合な点が出てきてしまうンだがな。
どこかのサイトで『凸と映画HEROの始皇帝は似ている』というような文章を読んだ気がするのですが、確かに部分的には似ているかなあと思いました。リーダーは常に孤独だと言ったのはデニム・パウエルですが、凸もやっぱり孤独だったんですね。そして最後の最後まで救われない、報われない。愛にすべてを捧げたはずだったのに、彼の手に入れたものはラムザとは違い、指の間からこぼれていったわけです。
英雄に意味なんてあるのかな。
と考えさせたかったんだとすれば、WA2より数年早くそのテーマを内包したことになりますが…、それはさすがに深読みしすぎでしょうね(笑)。